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【筆者】 吉良 潤 (きら じゅん)
親鸞聖人の妻は二人です。 親鸞聖人が同時に二人の女性と結婚したのではありません。 最初の妻は九条兼実の娘・玉日です。 二番目の妻が恵信尼です。 つまり不幸にも先妻・玉日が亡くなったので、親鸞聖人は後妻・恵信尼と再婚したのです。
玉日姫(法名・善変)と恵信尼の関係はどういうものであったかと、いいますと、恵信尼は「筑前」という国名で宜秋門院任子に仕える女房でした。 建久七年(一一九六)の政変によって任子が宮中を退下し、建仁元年(一二〇一)十月七日、彼女は出家します。 その二日前の十月五日に法然上人は九条兼実との相談のうえ、親鸞聖人に九条兼実の婿になるよう指示されたのです。
ということは、任子が出家する前に華燭の典という目出度い祝典が挙行されたのです。 この五日という日付には深い意味があります。 すなわち、この年、建仁元年四月五日の暁に、親鸞聖人は六角堂で女犯偈を授かっていたからです。 ですから親鸞聖人はちょうど半年後の同じ日に受妻したことになります。
このことは兼実が親鸞聖人の行実と人柄を十分に知っていたからです。 何故かというと、法然上人、九条兼実、熊谷直実、親鸞聖人の四人は、高野聖として高野山上で一夏九〇日間、過ごしたからです。 このことに関しては恵信尼書簡を解読する事項で明らかにします。
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